あるピアニストの一生
21世紀を生きるわが子へ 田所政人の教育論

 神戸に発つ日、車の中で父はこの文章を私に手渡しました。タイトルは付いていませんでした、ただ「理央へ」と書かれていました。
 本にして出版しようと思っていて、結局出さなかったやつだと言ってました。1章と2章は子育て日記、つまり私と妹をどういう風に育てたかということが書いてあります。この部分については妹と母のプライバシーに配慮して、一部私が記述を改めた部分があります。3章以降は一般論としての教育論になっていて、これはほぼそのまま公開しようと思っています。ご覧の皆様の思索の一助となることを願って。

 序章  わが家の受験顛末

 私は滋賀県草津市に住んでいる。京阪神のベッドタウンで人口急増地帯。大都市圏に位置していながら、私立の学校が極めて少ないことが特色と言えよう。ということで教育熱心な親は、小学校は滋賀大学の附属小学校、中学校は京都の名門私立中学を目指して子供の尻を叩くことになる(幼稚園、小学校から京都の私立に行かせる親も相当数いる)。
 私の職業はピアニスト、ピアノ教師。従ってほとんど一日中自宅にいる。子供との接触時間は普通の父親より当然長い。といってもたいていは自分の部屋兼レッスン室に閉じこもっていて、それほど子供の相手をしているわけでもない。まあ、世のサラリーマン諸氏よりは多いかなという程度であろう。
 上の子(長男)は滋賀大の附属小にバスで通っている。下の子は近所の公立の小学校である。そのあたりから話を始めることにしよう。

 実は私は初め、附属小学校にあまり良い印象を持っていなかった。理由は、しょうもないことであるが、私がこれまでにピアノを教えた附属小学校の生徒というのが三人ほどいるのだが、そろって皆出来が悪かったからである。頭が悪いというのではなく、練習をほとんどしてこないのである。話を聞くと練習時間が全然とれないという。一人は宿題をするだけで何時間もかかるというし、一人は授業についていくために塾に通わしていて、その勉強だけでへとへとになるなどという。

 そういう話を過去に聞いている私は、当然自分の息子をそんな小学校にやろうなどとは露ほども思ってはいなかった。
 ところが上の子が通っていた幼稚園は比較的教育ママの比率が多いと思われる幼稚園なのだが、そこの母親たちの目標は子供を附属小学校にやることなのだという。そういう環境で妻は毎日子供の送り迎えをしているわけである。そのうち東京に暮らしている嫂まで「日本で最先端の教育が行われているところがせっかく近くにあるんだから、受けるだけ受けてみたらいいのに」などと言い出す。

 又、小学校はともかく、近くの中学校は大分荒れているという事も聞くし、現にわが家の裏でたばこを吸っている中学生というのもよく見かけるのである。附属小学校に行くと中学校はほぼストレートで附属中学校に入る事が出来る。
 それやこれやで何となく私の気持ちにも変化が生じてきて、「だったら、まあ、だめもとで受けるだけ受けてみるか」という方針に切り替えたのが、受験まで半年となった夏頃であった。
 受験をするとなると妻の耳には色々な情報が飛び込んでくる。中にはお節介な親もいて真剣に忠告をしてくれたりするらしい。「附属に入るには、絶対どこそこの塾に行っていないとだめですよ」。そういうのを聞くと少々へそ曲がりなところのある私は、「だったらうちの息子はその塾に行かないでも入れるという証人にしてやろう」などと思う。
 アルバイトで幼児向けの教材の販売員をしている親などが「うちの教材を使ってたら附属にも入れます」などと言ってくる。パラパラっと見てみるが、格別独創的なところがあるわけでもない 。現在使っているK社の教材よりむしろレベルが低いかもしれない。少なくともわが家の子供が退屈することは間違いない。断ると捨てぜりふを吐いたそうだ。「おたくはそりゃご主人がきっちり仕込んでいらっしゃるから」。よっぽど私は暇人だと思われているらしい。
 しかし妻は日一日と表情が変わってきて、「受験するというのにこんなに何もしてなくて良いのかしらん、附属受験生用の塾に入れよう」などと言い出した。
 私はもちろん反対した。しかしただ反対するだけでは妻を納得させることは出来ない。私はおおよそ次のようなことを言った。

 附属の入試は一次と二次があり、二次は抽選である。一次に受かる人数のうち六割ほどしか二次には受からない。抽選は全くの運であるから、合格確率は最大に見積もっても六割である。又、中学校や高校の入試と違い、小学校の入試というのは、幼稚園に文部省の指導要領がない以上、範囲の制限がなく、いかなる出題がされるかが全く予想できない。これまでの傾向を見ても、何問かは類例のあるような問題であるが、一問か二問、とうてい予想不可能な問題が出ている。前者はこちらで対応できるし、又その程度の問題を解く頭脳はすでに持っているはずだ。後者はこれは出来るかどうかは運としか言いようがない、塾に行ったからといって解けるような問題ではない。従って塾に行く意味はほとんどない。他の受験生がどの程度の頭脳を持っているか分からないが、仮に今受かる確率が五分五分として、抽選を考えたら合格確率は30%、それがせいぜい31%に上がるくらいのことだ。

 妻は一応納得した。
 受験が迫ってくると、母親たちの顔つきが変わってくる。親切ごかしに色々と言ってくれていた親がこんな事を言い出す。「おたくなんか、そんなに真剣に入りたいわけでもないんやろ、真剣に受けるうちなんかが迷惑やわ、受けへんだらええねや」「おたくみたいに何もしてへん子が受かったら、うちみたいに必死にしてる子供が可哀想やわ」。ええかげんにせえよ、ほんま。
 わが家は子供の教育について何もしていなかったわけではない。それどころか生まれて二年ないし三年ほどはたいていの普通の家庭よりはよほど子供を仕込んだと思っている。ほとんど何もしなくなったのは保育園に入ってからである。受験前になってあたふた仕込んでるような子供が受かったら、生まれてからずっと仕込んできたうちの子が可哀想、というものだ。
 息子は受かった。運が良かったのであろう。紐を結べという問題が出たのだ。たまたま息子は体操教室に通っていて、縄跳びの紐をいつも結んでいた。それが役に立った。塾で教えてもらえるようなことではない。

 二歳年下の娘は、頭脳の程度は私の見るところ上の子と似たようなものである。ただ上の子はどちらかと言えば理数系の頭脳だが、下の子は文科系である。計算はあまり好きではなく、読書が大好きで語彙が豊富。
 上の子の友達が時々遊びに来る、中には娘と上手に遊んでくれる子供もいる。そのうち上の子と遊びに来ているのか娘と遊びに来ているのかわからないような子供も出てきた。娘は同年齢の幼稚園の子と遊んでいるときよりも上の子の友達と遊んでいるときの方がはるかに生き生きとしている。自分で小学校は附属に行くと決めていたようだ。「受かるかな?」と親が言うと、本人も上の子も「落ちるわけないやん」という。上の子の友達も「絶対大丈夫やわ」と言ってくれる。

 上の子と同じように、毎月宅配してくれるK社の教材だけをしていた。それでもこちらの心に一抹の不安というか予感でもあったのだろうか、市販のドリルを買ってきて受験勉強らしきものを少しした。上の子の時は落ちても一向に構わないと両親とも思っていたが、下の子の時は、出来れば兄妹二人とも同じ学校に入れてやりたい、受かってもらいたいと思う気持ちが上の子の時よりもはるかに強かった。子供の勉強を見るのはほとんど私の専権事項のようなものだったのだが、下の子の時は母親も結構ドリルを見てやっていたようである。
 娘は落ちた。漠然と感じていた不安が的中した。受験のテクニックのイロハが分かっていなかった、というよりこちらが教えていなかった。折り紙で何でもいいから折れという問題が出た。娘は折り紙は得意で相当色々なものを折ることが出来る。それがあだとなった。何を折ろうかと長い間迷ってしまったのだ。鶴を折ろうとやっと決めて、折り始めたら、はいそれまで、と言われたらしい。もちろん鶴のつの字にもなってはいない。もう1問、3つのものを与えられて、それを使って話を作れという問題が出た。その3つのものが何であったかは覚えていないが、たとえば猿と船と箸というような感じである。娘は一行で片づけたらしい。猿が箸を持って船に乗りました、おしまい、と。
 普段の生活から、些細なことでよく迷うことは分かっていた。面倒くさがりでずぼらであることも分かっていた。しかしそういうことが受験に直結することまでは読めていなかった。受験の時はとにかくスピード、お話などは内容豊富に、そういう基本的受験テクニックを仕込んでなかった親の怠慢である。帰ってきて試験の様子を聞いたときから、しまったと思ったがもちろん後の祭りであった。
 娘は翌日には立ち直っていた。どう声をかけようかと思い悩んでいた幼稚園の先生に、あっけらかんと「私落ちたの」と自分の方から言ったそうである。母親の方がショックが大きかった。小学校に入って半年ほども、もっとああしていたら・・などと愚痴っていた。
 私はといえば、残念だと思った。そして娘がどれくらい傷ついたかを探り、どうやら大して傷ついていないと分かってほっとした。あとは母親の愚痴につきあうだけのことであった。落ちても良し、受かればなお良し。医者とか弁護士とか、職業に関する国家試験のようなものならともかく、学校の受験などその程度のものである。そんなことで一生が左右されるわけもない。長い目で見ればどちらの小学校に通うのが幸せであるのかは分からない。父親の私は、附属小学校に行く方がより良いのではなかろうかと思い受験させたわけであるが、それは数字で表現をすれば附属に行くことが100点で地元の小学校に行くことが0点であると判断したわけではない。附属に行っても0点になることもあるし、地元の小学校でも100点になることもある。ただ、人生が仮に採点可能なコンピューターゲームだとして、地元の小学校という選択肢を選んだ場合、そのあとに続くすべての可能性の平均点が80点だとすれば、附属小学校という選択肢を選べば、その平均点が81点くらいになるかなと思ったまでのことだ。
 娘は上の子とは違う小学校に通うことになったが、それは娘にとって1つの運命である。その運命をどう生きていくかはすべて今後の話である。人生いたるところに青山ありという。
 娘は今小学二年、連日のように友達と遊んでいる。上の子は近所には同じ学校の子がいないので滅多に友達と遊ぶことはない。もっとも上の子は一人遊びの天才で、別にそれを淋しがるようなことはしない。私はうちの子供たちはそれぞれこれで良かったんじゃないかなと思っている。もっとも逆の結果、すなわち上の子が地元の小学校で、下の子が附属に通っていたとしても、たぶん私はそう思っているだろう。

  第1章へ続く→

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