About Me
- Ryu-Jin
- 男性
- 60代
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黎明期
- 非常に早熟な部分とまったく晩生な部分とのあるアンバランスな子どもであった。小学生で新聞の1面を欠かさず読んでいたり、株についての知識があったり。逆に小学6年で女の子と相撲をとったりしていた。
- 神秘的なことは好きだったが、長じるにしたがって科学的思考に重きを置き、そういうものは否定するようになった。
- 小学高学年から何度か金縛り体験に遭う。脱出方法を覚えてからは恐怖感もなくなったが20代後半までときどき遭遇した。
- 母の希望により4歳からピアノを習う。音大教授より30年に一人の天才と言われるものの、本人はピアノに束縛されるのが嫌でたまらず、中学二年のとき母と大衝突をして、一旦ピアノをやめる。
- 高校一年のときに「死」というものを実感する。これ以上の恐怖はこの世にないと思う。夜になると「死」のことを考え、そのことを考えること自体が恐怖になる。
- あまりの恐怖に自殺を思うが、両親の「死」を考えたときの自分の悲しみから、自分が自殺したときの両親のそれ以上の悲しみを想像し、思いとどまる。「死」という観念から遠ざかるのに一年ほどかかり、それからも結婚するまで折にふれて、ときどき死ぬことを思う。
- 大学入学前からピアノを独学で再開。入学後近所の子供に教え始め、瞬く間に生徒が増える。
- 京都大学法学部卒業。
- 左翼運動の思想的影響を受けた。当然唯物論者であった。
- 今の世の中のしくみ(資本主義)は根本的に間違っていると思い、就職を拒否。その件で父親と冷戦状態が続く。自分の考え を作家となって記そうと思う。作家として世に出るまではピアノ教師として糊口をしのごうとする。
- 文才のなさを自覚、作家を諦める。
- 31歳で、関西の名物じいさんと言われた松井康裕先生にピアノを師事、最後の弟子となる。2年後チャイコフスキーコンクールに出ろと言われたが、すでに年齢オーバーであった。大津にて初リサイタル、「大津ではあかん、大阪でやれ、わしが世に出したる」と言われ準備を始めたときに松井先生死去。
- 正統的ピアニストとして割り込むことはほぼ不可能と悟り、間隙を縫うべく「おしゃべりコンサート」を始める。これまでに日本各地で100回近く公演。
- 33歳で結婚。子どもは二人(男、女)。53歳で離婚。
- 30代後半に身辺に不可解なことが何度か起こる。
- 40歳のころ、船井幸雄氏その他の人の著作に触れて、唯物論から卒業。
- しばらくいわゆる「トンデモ本」を読み漁る。
- 1998年PH(パーフェクトハーモニー研鑽会)入会。
- 2004年より、PH会機関誌に連載開始(~08年まで)。PH会における「頭でっかち派」の代表格、関西における同会の「顔」として知られる。
- 2005年「ネット占い師Ryu-Jin」として活動開始。
- 2006年より2年間PH会理事。
- 2009年より「Total Adviser Ryu-Jin」と名乗る。
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無明期
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曙光期