あるピアニストの一生

音楽関係の文章 のだめカンタービレ評

 

「のだめカンタービレ」 二ノ宮知子 講談社 全23巻+2巻

「草津カンタービレ」という合唱団の指導をしています。 団名は団員のM君の発案。「のだめカンタービレ」から拝借した模様。

結成当時は、私は「『のだめ』って何?」と訊いたぐらい、なんも知らなかったのですが、昨年全巻ヤフオクで手に入れまして、一気に読みました。で、年が明けてからも、二度三度と読み返しております。

大ベストセラーだけに、ネット上で詳細な考察をされている方々がいらっしゃいます。そういうのを読んで、ふむ、これだけいろいろと考えされる漫画というのもすごいもんだなあ、と思っております。

日本の「マンガ」はいまやほとんど小説と同格のものになっているかもと思いました。

さて、ネット上でこれだけ多くの考察があると私がいまさら付け加えることはほとんどないのですが、 21巻から先、怒濤の勢いでラストまでいっただけに、特に最終巻は、はしょりすぎだろうとか、大人の都合で削ったのではないかとか、いろいろ言われています。のだめの苦しみがほどけていく過程を、もっとじっくりと書き込んでほしかったと言う意見が、読者のかなりのパーセンテージを占めているような気もします。

私の考えを申しますと、あれはとても納得のいく最高の終わり方であると思います。

この作品はテーマが極めてはっきりしていました。それは「一人の天才少女の自立」です。作品に即して言えば、「のだめが音楽に正面から向き合うようになるまで」です。普遍的な言葉で言うと「青春の終わり」です。

一般的に、人間は大人になるに従って、自分の中の可能性を少しづつ消していきます。そして最終的に、何かにナルことを選びます。この作品はのだめが自分の中のピアニスト以外の可能性を消して(のだめ本人は幼稚園の先生と言う道筋を最初は思い描いていた)、最終的にピアニストになることを決断するまでの道のりを描いたものです。

最終巻を一気に書ききったことにより、そのテーマが明確に読者の目に明らかになったのです。人気のある連載漫画だからという理由でだらだらと引き延ばしされるのはよくありますが、作者は最初のテーマ・構想を曲げずに貫いたのです。その姿勢は大いに評価されてしかるべきと思います。

私の読んだ限り誰も指摘していないことを書きますと、のだめがRUIと千秋のコンチェルトを聞き、そして千秋へのプロポーズがあっさりスルーされ、ほとんど人生そのものに絶望してしまったとき、シュトレーゼマンが手を差し伸べます。その手はオペラ「ファウスト」に重ねられ、悪魔の誘いと思わせるものになっていました。

「ファウスト」では悪魔メフィストフェレスの誘惑に乗り、現世でのあらゆる望みをかなえてもらうことと引き換えに、魂を売り渡します。しかし恋人グレートヒェンの祈りにより、その死後、魂は救済されるのです。

「悪魔」と言う言葉は次の巻でオクレール先生がシュトレーゼマンに向かって言い放ちますから、それで伏線回収と言う考察は見ましたが、その程度のことではありますまい。あそこのオクレール先生の言葉は、シュトレーゼマンの女癖の悪さをあてこすっただけの意味でしかないでしょうから。

シュトレーゼマンは主観的にはもちろん悪魔ではないし、結果的にはその手はのだめをいったん救ったものになっています。しかしその手はやはり悪魔の手だったのです。

その手を掴んだのだめが得たものは、デビュー公演の空前の大成功、そして引き換えに失ったものはピアノを引き続ける意志と、千秋への愛だったのです。

そしてグレートヒェンではなく、千秋が最後の最後にのだめを救うのです。

こう書いていても、いろいろな場面が脳裏によみがえってきます。おそらく作者はかなり早い段階でこのラストの流れは決めていたに違いありません。絶望から急上昇、一転して逃避、そして救済。いや、実に見事です。付け加えるものなどありません。


あと少々、これは私の独自の考察と言うのではないですが。

千秋は、最初はのだめのピアノに惚れ、そのうちのだめに惚れているのか、のだめのピアノに惚れているのか自分でも解らなくなり(シュトレーゼマンに「ちゃんと分けなさいよ」と言われてました)、最後にのだめの人間そのものに惚れている自分を自覚しました。それを自覚した上で、しかしのだめのピアノはすばらしく、ピアニストになるべきだと行動したのです。

のだめは、千秋に惚れ、ピアノは千秋に近づく手段でしかありませんでした。パリに留学したのも、ピアノを勉強するためではなく千秋と一緒にいたかったからです。だから、目標が「先輩とコンチェルトをすること」だったのです。これはピアニストにとって途中の通過点ではあっても、最終目標であっていいはずがありません。だからそれを聞いたオクレール先生は首をひねったのです(同時にいろいろ察したのでしょう)。

それが、少しづつ音楽そのものの喜びを知り、あと一歩と言うところでRUIに絶望に追い込まれ、シュトレーゼマンの悪魔の誘いを受けてしまったのです。

それはまだ時期尚早であったがために、絶頂から結局はどん底に落ちることになります。

しかし千秋との強引な二重奏で再び千秋への愛を取り戻し、リュカの言葉で自分も「神から与えられた」才能を生かすべくピアニストになる決意をするのです。ここで初めて、ピアノが千秋と切り離され、自分自身にとっての天職であるとの自覚をもつに至ったのです。

最終巻で千秋とのコンチェルトがないという不満の声をあちこちで見ましたが、作品のテーマからすればそれは絶対にありえないことです。

のだめが自立したことをはっきりと示すべきところで、のだめの自立していなかったときの最終目標をそのまま横滑りさすわけにはいかないでしょう(笑)

書き始めると何ぼでも書けます(笑。

登場人物がほぼすべて愛すべき人間であるということやら(松田さんだけ好きになれなかったかも)、絵だけで見事に音楽を表現していると言うことやら…

まあ、でも、そういうのはきっと皆が感じていることなので、もう書きません。

誰が一番好きかというと、シュトレーゼマン、ミルヒーですねえ。

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