あるピアニストの一生

ピアノ教材研究 作品集 

 

柏木俊夫 芭蕉の奥の細道による気紛れなパラフレーズ    音楽之友社

1965年出版された。今でも受注生産で入手可能。知る人ぞ知る、といった感じの作品であったが、今はCDもあるし、若手ピアニストが 取り上げたりもしているようである。

番号 曲名 難易度 推薦
草の戸も住み替はる代ぞ雛の家 17  
行く春や鳥啼き魚の目は涙 18  
入りかかる日も絲遊の名残かな 16  
あらたふと青葉若葉の日の光 22  
野を横に馬ひきむけよほととぎす 20  ☆
落ち来るや高久の宿のほととぎす 17  
卯の花をかざしに関の晴着かな 21  ☆
風流のはじめや奥の田植えうた 14  
笈も太刀も五月にかざれ紙幟 22  
夏草やつはものどもが夢の跡 17  ☆
ⅩⅠ 五月雨の降りのこしてや光堂 18  
ⅩⅡ 閑かさや岩に沁みいる蝉の声 23  
ⅩⅢ 五月雨をあつめて早し最上川 27  
ⅩⅣ 暑き日を海に入れたり最上川 20  ☆
ⅩⅤ 終宵秋風聞くや裏の山 22  ☆
ⅩⅥ 散る柳あるじも我も鐘を聞く 17  
ⅩⅦ 荒海や佐渡に横たふ天の河 25  ☆

Ⅱ.「お江戸日本橋」がかすかに聞こえてくる。

Ⅳ.確かに表題のような雰囲気はある。

Ⅴ.音楽がとらえやすい。

Ⅵ.これはまさに俳句を「音楽」にしたものという感じ。日本人以外には作曲不可能かも。

Ⅶ.かなりお気楽に弾く感じ。テンポは速めの指示があるが、遅くのんびり弾く手もあるかなと思う。

Ⅸ.ショパンのプレリュード8番を思い出すのは私だけかな。内容ではない、書法である。

Ⅹ.やや劇的に(悲劇)弾く必要があるだろう。

ⅩⅠ.雨を表しているのか、光を表しているのか。私は雨にぬれて光っているさまを表しているのだと思うが…

ⅩⅡ.作曲者は蝉の声にある種の悲哀を感じているようである。

ⅩⅢ.曲集中最難曲か。微妙に日本風味わいを出そうとしているため、見た目より弾きにくい。準推薦。

ⅩⅣ.きっと勇壮な風景なんでしょう。

ⅩⅤ.細かい音符はおそらく風。繊細にかつ鮮やかに表現するには、かなりの腕前を要する。

ⅩⅥ.ドビュッシーの「帆」をちょっと連想する。

ⅩⅦ.俳句から連想される情景は多分に神秘的なものだと思うが、この曲はむしろ「荒海」に重点を置いたある種荒涼な風景を描いているようだ。最後を飾るにふさわしい名曲。

あとがき

柏木俊夫氏は、ほとんどこの作品のみによって知られているようである。そして、この作品は、たびたび品切れになりながらも、 根強いファンの声に応え版を重ね、今は受注生産として生き延びている。

技術的には、プロでなければ弾けないだろうというのは一曲しかない。他は中級から上級程度の腕前で演奏可能なはずである。

ただ、この曲集の持つ微妙な日本風味わい、それが色濃いものもあり、隠し味程度に収まっているものもあるが、そういうものを消化しきって、 この曲集本来の価値を引き出す演奏となると、そう簡単に聞くことはできまい。

私自身、さっと通して弾いてみただけのものがほとんどであり、その味わいがすべてわかったとは到底言えない。従って私が推薦にしていない曲であっても、 それは単に私がその曲の深みに到達できていないだけなのかもしれない。

感情は音にしやすい、というより、日本人にとっては音楽とは感情を表現するものである。(音楽は秩序を表すという西洋音楽のもう一つの根幹が日本人にはなかなか理解できない)しかし、風景を音にすることはなかなか難しい。大作曲家でそういうことに成功している人はちょっと思い浮かばない。 あえて名前を挙げれば、マクダウェル・セブラックぐらいだろうか、しかし二人とも大作曲家とは言えまい。シベリウスはいい曲を残しているが、風景というよりは、 風景の一部分だろう。

この曲集は、風景を直接音にするというよりは、俳句にあらわされた情景、それはつまり心象風景となる、それを音であらわしたものである。 風景を直接音にするよりも、ワンクッション置かれている。その意味で、より作曲しやすかったのかもしれない。そして、それは「俳句」という稀有な短詩型を持った日本人でなければ、できない技であったかもしれない。

この作品集を愛好するピアニストが一人でも増えることを望んでやまない。

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