あるピアニストの一生

教則本についての考え方

※管理人注 この文章はもともと通し番号29の編曲集「やっぱりピアノがすき!」(橋本晃一)の付録として掲載されていたものです。当時はまだ教則本は研究対象外だったようなのですが、教本のページがこれだけ充実している今となっては、教本のページに総論として載せてある方が自然だと思い、場所を移動させていただきました。

 バイエル、メトードローズをはじめとし数多くの教則本があります。読者諸氏も当然何種類かの教則本をご存じであろうと思いますし、それらの教則本についてのさまざまな解説を読まれた方もいらっしゃると思います。

 当研究会で今のところ教則本を取り上げていないのは、つまり教則本についてはあちこちのサイトで色々な先生が語っておられるからです。屋上屋を重ねることもあるまいという判断です。

 さてしかし、ついでですので、余り書かれていないことを一つだけ書いておきます。

 それはどの教則本にも必ず欠陥はある、その欠陥が教師の工夫でどうにかなるものかどうかが問題であるということです。

 たとえばトンプソンで1巻の最後に16分音符が初登場します。それが16分音符の導入教材としてはまずいという批判はよく見かけますし、正しいことも間違いない。しかしそんなことは教師の工夫で何とでもなるわけです。16分音符の丁寧な説明をする、あるいはより適切な別の曲をどこかから引っ張ってきてその曲の前にさせるかあるいは差し替える、等々。

 これはほんの一例ですが、教則本の研究はそのほとんどが理論的観点から行われています。しかしそれらはことごとく本質的な問題ではない、少なくとも最も大切な問題ではない。

 子供向け教則本の場合、最も大切な問題はその教則本の曲が音楽としてみた場合、本物の音楽であるのかどうか、ということです。そしてその問題に関しては教師は手の打ちようがない。

 仮にバイエルの欠陥を補うとして、同じ曲で1オクターヴ下げて新しい教本を作ったとします。そうすると中央のCから始まることになるし、ヘ音記号もすぐに出てくるし、元々理論的には割ときちっと出来ている本ですから、それで素晴らしい教則本が出来上がりとなるのか? もちろんなりません。

 バイエルの最大欠陥とは、その上巻の曲の大半が音楽としてみた場合、陳腐以外の何ものでもないということです。最も音楽的感性の豊かな幼少時に、こういう駄作ばかりを子どもに教材として与えるということが、最も恐ろしいことであり罪深いことなのです。そしてこれはバイエルを教則本として使う限り、教師には如何ともしがたいことです。つまりバイエルは使ってはならない、となるわけです。 

 トンプソンは使えます、ちょくちょく欠点はありますが、それらはすべて教師が工夫すれば解決できます。トンプソンに出てくる曲はそのほとんどが音楽として本物もしくは本物に近いと言えます。それこそが最も肝心なことです。

 教則本を選ばれる際は、第一に収録曲が音楽として本物であるのかどうか、をお考え下さいますように。

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