あるピアニストの一生
サイトでのご報告が大変遅くなりましたが、2016年1月24日、処女作であり、遺作となってしまったミュージカル「零点ベルちゃん」が上演されました。出演者はじめ関係者の皆様に心から御礼を申し上げます。

思想家であった父らしい作品で、ストーリーは数字ばかりを追いかける現代社会へのアンチテーゼ。日々のふるまいの1つ1つがすべて点数化されてしまう「数字の国」を舞台に、人間力が0点になってしまったベルちゃんを救うため、仲間たちが奮闘します。メインキャストの子どもたちが「点数なんか気にしない!」と歌い踊る姿は実に見事、爽快感あふれるステージでした。

個人的な感想ですが、

一番良かった歌 → やはりメインの「点数なんか気にしない」は圧巻でした。音楽的な完成度も高く、「なあんか」の伸びも気持ちよかったし、裏拍もいい感じにキツめのタイミングで揃っていた。そして何といっても、歌い手に無用な遠慮がなく、本心からの表現として「点数なあんか気にしない!」と言えていたのが最高に良かったです。この歌のメッセージの内容が、ともすれば反社会的なこと、言ってはいけないことのように思われてしまいそうな歌なので、歌い手側もちょっと心理的に萎縮してしまうんじゃないかと思ってたんですが、見事に突き抜けた表現をしてくださいました。あれは清々しい名演でした、たぶん父も「上等上等」と言っていると思います。

一番良かったセリフ → テンちゃんという、数字の国で人間力2万点の大天才キャラが「点数なんか気にしない同盟」に入るときのセリフ、「私は2万点だから天才なんじゃない、天才だから2万点なんだ。点数なんてあってもなくても、私が天才であることには何ら変わりない」(微妙な言い回しはご容赦下さい)が、一度聞けば忘れないすごく素敵なセリフでした。父の理屈っぽさの真骨頂だと思います。

そしてこのセリフがおそらく、父の問題提起の核心を突いているのです。少し小難しい言い方で恐縮ですが、数字とは表現であって実在ではない、ということです。「2万点の人間がいる」のではない、「私という人間が2万点を出した」のです。もう少し身近で言えば、「数学のテストで90点の生徒と30点の生徒がいる」のではない、「○○という生徒が90点を取り、△△という生徒は30点を取った」のです。私自身も塾の先生ですが、学校や塾の先生はどうしても「この子は何点の子」というふうに生徒を見てしまう危険が常にあります。いや、生徒自身も、誰々ちゃんは何点、私は何点、というように、数字で自他を規定してしまっているものです。あるいは他の例では、経営者なら「500円買ってくれる客と1万円買ってくれる客」とか、就活をしている大学生なら「年商1億の会社と100億の会社」とか。全部同じです。現代社会に生きる誰しもが、数字で物事を見てしまう、それどころかむしろ数字で物事を判断することこそが大人の証であると思っている(私事ですが、5年ほど前に自分が就活をしていて関西のとある大手塾の会社説明会に行ったとき、取締役の1人が来ておられたので、質疑応答で「テストや成績によって子どもを数値化してしまうことに対してどう思うか」と質問してみたら「まったく抵抗ない。数値で世の中は回っているのだから。社会とはそういうものだ」と回答されました。非常に印象的だったので今でも覚えています。おそらく社会人としてごく当たり前の感覚をお答えになったのだと思いますが、やはりそこは自分も父の血を引いていたのでしょう、何となく根本的に違うなと感じて、こんな会社やだなと思って入社試験は丁重に辞退させていただいた記憶があります)。

父はこの現状を批判したのではないでしょうか。もいっぺん、初めから考え直せと。数字とは捨象である。実在(という言葉がふさわしいかわかりませんが)しているのはあくまでも個々の人間、個々の会社、個々の事象であって、数値はその一面を捉えているにすぎない。もっと個々の人間を見ろ、個々の会社を見ろ、個々の現象を見ろと。数字は属性にすぎない、数字をアイデンティティにしてはならないと。

 

「点数なんか気にしない」 作詞・作曲 田所政人

点数なあんか気にしない 点数なあんか気にしない

ハンカチ忘れちゃいけないよ 爪切らなくっちゃいけないよ
ピーマン残しちゃいけないよ 廊下で走っちゃいけないよ
お行儀よくなきゃいけないよ 汚い言葉はいけないよ
みんな見てるよ付けてるよ 下手すりゃたちまち零点だ!

でも 私たちは大きな木になりたい
少しくらいねじれてても 少しくらい曲がってても
そんなものは見えないくらいの 大きな大きな大きな木になりたい

部屋散らかしちゃいけないよ 服汚したらいけないよ
大声出しちゃいけないよ 裸足で歩いちゃいけないよ
道草食っちゃいけないよ 宿題忘れちゃいけないよ
みんな見てるよ付けてるよ 下手すりゃたちまち零点だ!

でも 私たちは豊かな心をもちたい
人の喜びを喜び 人の悲しみを悲しむ
それが当たり前になる 豊かな豊かな豊かな心をもちたい

数字はこの目を曇らせる 数字は心に蓋をする
だから だから だから
点数なあんか気にしない 点数なあんか気にしない 気にしない

 

この歌詞を見ると、単に「点数なんて気にするに値しないぜ」と言っているだけではなく、「人間存在が一生をかけるべき目標は数字の追求の先にはないことにそろそろ気付け」という、より大きな視点もあるように思います。

人生とは目的のないもの、この無目的性こそがこの世をこの世たらしめているのだと言ったのは誰だったか、つまり生きるとは「ただ在る」ものです。問題なのはその「在り方」であって、物質的・心理的・精神的・生活的・思索的さまざまな「在り方」が和音のように一刻一刻の自分を彩っている、その音楽に耳を澄ませて、少しでもきれいに、少しでもカッコよく、少しでも陰影深いものにしていこうとするのが人間の生という営みであるわけです。

捨象、表象でしかない数字に囚われてしまうと、その「在り方」のレベルにまで意識が届かなくなってしまう。だから「数字はこの目を曇らせる 数字は心に蓋をする」なのです。戦後日本人が数字ばかり追いかけるようになって(このあたりの政治的・社会的・深層心理的な探求も父は相当やっていたはずです)、人々の生き方が低次元に堕することを危惧していたのかもしれません。

なんかまとまりませんが、キリがないのでこのへんで。もとより父の真意は茫洋たる教養の土壌に育まれたもの、浅学たる私には量りかねますが、おそらくそうであろうと思ったことをお伝えした次第です。少しでも皆様のご一考に資することがあればうれしいです。今後もちょいちょい加筆していきます。

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